株式会社英和商会と合併
英和商会の株式を譲受して子会社に
当社を独立した番頭の1人である中筋英彦は、1970(昭和45)年に株式会社英和商会を創立し、大阪市東成区にて大林組の集合住宅部と不動建設などのガラス工事を受注していた。
社長の中筋と2名のベテラン番頭、1名の女性社員で事業を行い、業績は良かった。しかし、後継者が不在で、中筋は廃業を考えており、境紀世治に相談があった。紀世治にとって中筋は幼少のころから知っている仲であり、業績に問題はなかったため、当社が英和商会の株式を譲受し、子会社にすることを提案。2000(平成12)年4月、当社から2名の社員を英和商会に派遣し、事業を継続することとした。
この人選は非常に困難であった。当社は紀世治と同じ年代のベテラン番頭がいると共に、専務で後継者の境昭博とその同世代と同じ社員が、各業務の責任者としてゼネコンからも信頼される立場に育っていた。その中から企業マネジメントができる人材を子会社に派遣しなければならない。紀世治は工事部長の北尾公一が適任だと苦渋の判断をし、もう1名は若手の営業担当者を派遣することにした。中筋は社長として残り、北尾が専務取締役となって経営を担った。
突然の決定で、当社は統率力が求められる工事部長が抜ける形となったが、新しい人材を育て、事業を遂行していった。
それから数年がたち、ベテラン番頭の2名は退社し、英和商会は北尾と若手の営業担当者、そして女性社員の3名となった。柏商会からの派遣者で英和商会を経営している状況になったため、東成区の社屋を引き払い、当社の本社社屋内に拠点を移すことに決めた。
英和商会を合併
その後しばらく、当社社内で同じ事業を行う2社が共存するかたちが続いたが、合理性を考え、2011(平成23)年11月、当社は英和商会を吸収合併することとし、北尾は当社の専務取締役となった。
英和商会の取引先からも、当社による合併は問題なく受け入れられ、英和商会の仕事は当社で継続することができた。同業の2社を1社とし、さらなる売り上げの向上と利益の確保をめざした。