株式会社柏商会の創立
大阪市南区に拠点を移し、法人化を果たす
節税の一環として個人事業から法人へ変更する同業者が増えてきたことから、1946(昭和21)年12月、大阪市南区高津町(現・中央区高津)への移転と同時に、政一郎は株式会社柏商会を創立する。当時は株式を相互に持ち合うことが多く、資本金の50万円は主にガラス関係の業者による出資であった。ガラスの破片を集めて築いた財産も法人化に役立てた。
法人化した社屋前にて(1955年ごろ、中央が境政一郎)
移転先は小山居平氏が所有する土地で、倉庫業を営む株式会社柏商会があった場所だった。広さは100坪、事務所や倉庫として利用できる建物もある。政一郎は、小山氏の所有物である土地や建物を購入すると共に、柏商会の屋号を譲り受けた。社名は事業が落ち着いてから変更する予定だったが、取引先に社名が浸透したことから、株式会社柏商会のままで事業を継続することとなった。政一郎と家族は、岸和田市の疎開先を引き揚げた1951(昭和26)年以降、当社の敷地内で生活するようになり、再び仕事と家族の暮らしが一体化した日々が始まったのである。
大阪市中央区高津にあった本社にて
大阪府板硝子商工業協同組合への加盟
戦後まもないころは、ガラスが割れた窓は木の板でしのぐことが多く、小学校でも同様だった。教室が薄暗くなり、教育環境が悪化していることを問題視した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、旭硝子株式会社(現・AGC 株式会社)に生産を依頼。小学校の窓ガラス用として、組合を通じて板ガラスが配給されることとなった。そこで大阪府内のガラス関係業者は1947(昭和22)年7月、大阪府板硝子商工業協同組合を設立し、当社も加盟した。
配給されたガラスは小学校用だと一目で分かるよう表面に線を施した「銀線ガラス」で、他での使用は固く禁じられた。政一郎は通常の板ガラスの製造が回復するまでの間、小学校用以外のガラスの入手には苦労することとなった。
政一郎は1952(昭和27)年度の同組合の副理事長に任命され、組合の活動に貢献してゆくことになる。
山田商店当時の社長・故山田元次郎氏の法要(1957年、最前列右から2番目が境政一郎)