History

沿革

柏商会100年のあゆみ

前史

創業からのあゆみと、発展の軌跡

1

創業前史

境政一郎、和歌山県有田郡で生まれる

1900(明治33)年8月、当社の創業者である境政一郎は和歌山県有田郡大字田栖川字栖原(現・湯浅町字栖原)という、みかん畑が広がる自然豊かな土地で生まれる。7人兄弟の長男であった。

尋常小学校を12歳で卒業すると同時に親元を離れ、丁稚奉公として住み込みで働いた。政一郎は後に、初めて勤め先に行った日のことを「父親が私を連れて行き、ここで働きなさいと言って置いて帰った」と家族に語っており、仕事への意欲よりもさみしさが勝る年頃であったことがうかがえるが、持ち前の温厚さと忍耐力で、下積みを重ねていった。

山田商店で修業を積む

政一郎の奉公先は山田商店であった。山田商店は1869(明治2)年創業で、当時は大阪の船場(現・大阪市中央区)に事業拠点を持ち、鏡の製造販売やランプのガラスなどを扱っていた。山田商店で働くことになったのは、大阪でガラス店を営み、成功を収めていた親戚の境英輔の紹介だという。また、英輔の親戚で政一郎のいとこにあたる境幸太郎も入社していた。山田商店は当時、ヨーロッパからの輸入ガラスも扱っていた。創業当時、山田商店は個人企業であったが、1909(明治42)年に資本金50万円の合名会社に改組している。

政一郎は頼まれた仕事は何でも引き受けた。時には経営者の子どもを背負って、子守をしながら働くこともあったという。そのような環境の中で少しずつガラスの仕事を覚え、商売のノウハウを身につけていったのである。

境政一郎幼少期

境硝子店を立ち上げたころの境政一郎

独立し、境硝子店の経営に携わる

1920(大正9)年ごろ、幸太郎は政一郎を誘って山田商店から独立し、西区本田にて境硝子店を立ち上げる。まもなく山田商店時代の同僚である中山氏が加わり、3名で地元の大工を主な取引先とするガラス店として事業を開始。後に株式会社鴻池組との取引が始まり、経営が安定する。

幸太郎は1921(大正10)年に、東京にて境硝子東店の創設を果たす。境硝子店は境硝子西店と名称を変え、政一郎と中山が切り盛りするようになったが、その後の1923(大正12)年9月、関東大震災が勃発した。

境硝子東店は、被災地の復旧と東京の発展に後押しされるかたちで事業を拡大。店名を東屋(屋号)境硝子店に改名し、後に日本板硝子株式会社の卸店となる。

PAGE TOP PAGE TOP