History

沿革

柏商会100年のあゆみ

第1章

ビルの高層化と共に技術を高める

2

大阪市北区川崎町に本社を移転

本社を移転し、業容に合わせた社屋に

当社は創立時から、本社を大阪市南区高津町に置いていたが、建物が老朽化したことから移転を検討。土地の広さや道路幅など、仕事の利便性を考え、大阪市北区川崎町(現・大阪市北区天満1丁目)の土地に新社屋を建てることとし、1969(昭和44)年10月に竣工した。この土地は寺があった場所で、商売上、寺の跡地は縁起がいいという言い伝えもあり、政一郎も気に入った場所であった。

高津町の敷地面積は100坪だったが、新社屋の敷地面積は60坪で狭くなった。それは、政一郎の右腕として経営にも携わっていた専務の大浦聰雄が、移転にあたり、在庫を保管するための広い倉庫は不要という考えを示したことが影響している。

この当時は6尺×8尺の大型ガラスが流通しており、比較的安価に入手できた。このガラスを当社で使用するサイズに切断することで、さまざまなサイズに対応でき、原価効率を上げることも実現した。必要なのは、大型ガラスを受け入れ、仮置きしたり作業をしたりするためのスペースのみであった。

建物の1階には天井にクレーン車を備えた作業スペース兼倉庫、2階には事務所が設けられた。さらに、3階には政一郎と家族の住居、4階には社員の家族寮と独身寮もあった。

地鎮祭にて

地鎮祭にて、右から境政一郎、大浦聰雄、境紀世治

近隣住民への配慮

移転した当初、周辺地域は木造の住宅が多かった。想定外だったのは、周辺の住民から新社屋での事業開始後すぐに、ガラスを切断する音が気になるという話が持ち込まれたことだった。

音を抑えることはできないが、もし近隣の家の窓ガラスの工事が必要になった時には、無料で対応することを会社の方針とした。窓ガラスが破損することはほとんどなかったが、近隣住民に喜ばれ、折り合いを付けることができた。

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