History

沿革

柏商会100年のあゆみ

第2章

大型事業の受注体制を整える

3

輸入資材を取り扱う

日米構造協議の影響を受けて

1980年代の後半、日本企業は経営の合理化や生産拠点の海外移転などで競争力が高くなり、アメリカの対日赤字は大きく膨らんでいた。日米間の貿易不均衡の解消を目的に、1989(昭和64/ 平成元)年から翌年にかけて、アメリカと日本の2国間で日米構造協議が行われた。その結果、公共事業を中心に、アメリカ製のガラスを積極的に使用するという方針が示された。それを受け、当社は初めて輸入資材を扱うこととなる。

輸入元となるアメリカのガラスメーカーは、ガーディアン社(テキサス州)とPPG 社(ペンシルベニア州)であった。輸入資材の取り扱いを始めるにあたり、打合せや視察にアメリカまで当社の担当者が出向いた。

アメリカガーディアン社視察
アメリカガーディアン社視察

アメリカガーディアン社視察の境昭博(両写真とも右から2番目)

アメリカのガラスは、倍強度ガラスで、同じ厚さのフロートガラスと比較して、耐風圧強度や熱割れ強度が2倍ある熱処理ガラスだった。薄くて強いというメリットがある一方で、ガラスに映り込む映像がゆがんで鮮明ではないため、建物の景観を重視する日本の設計事務所は長年敬遠していた。しかし、日米構造協議の結果、施主からもアメリカ製のガラスを使用したいという意向があり、徐々に日本の建築物でも採用されてゆく。

アメリカのメーカーへの発注は、神経を使うものだった。日本のメーカーの場合1カ月、最短で3週間前の発注で入手できたが、アメリカのメーカーの場合はコンテナ船で太平洋を横断するため、納品に最低でも3カ月はかかる。そのため当社は、3カ月以上前に確定した図面を入手し、寸法を出して発注しなければならなかった。発注ミスは許されないため、当時はダブルチェックまでだった確認作業に、トリプルチェックを取り入れた。多角形や円形のものなど、特殊な形状のガラスも多く、ガラスが届くまでは緊張が続く仕事であった。現場へのガラス納入が遅れることがあり、工期に間に合うかどうか冷や汗をかく時もあった。

アメリカ製のガラスを導入した工事

アメリカ製のガラスを導入し、当社が手掛けた工事は、1997(平成9)年2月竣工の大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)、1999(平成11)年3月竣工の堂島アバンザ第1期工事、2000(平成12)年3月竣工の同第2期工事、そして2001(平成13)年10月竣工の大阪中之島合同庁舎(大阪市福島区福島)であった。

大阪ドーム

大阪ドーム(現・京セラドーム大阪、1997年竣工)

ガーディアン社とPPG 社は、東京と大阪、名古屋に現地法人を設け、日本での営業活動に注力しようとしていた。しかし採算が合わなかったため、PPG 社はまもなく撤退し、ガーディアン社も拠点を東京のみにするなど、関西エリアでアメリカ製のガラスが積極的に使用されることは減っていった。

また、大阪ドームにおいては、天井部分に明かり取りのトップライトがあり、松下精工エンジニアリング株式会社(現・パナソニック環境エンジニアリング株式会社)の金属サッシと筒中プラスチックのポリカーボネートを取り付けることになった。当社ではパナソニックグループの仕事を受注したことがなかったが、施工力をアピールし、ポリカーボネート取り付け工事を受注している。この受注をきっかけに、約5年にわたりグリーンヒルズ津山をはじめ、他の案件に関わることができたが、松下精工エンジニアリングが環境系の事業に注力するなど状況の変化があり、その後の受注はなくなった。

グリーンヒルズ津山

グリーンヒルズ津山(1998年竣工)

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