History

沿革

柏商会100年のあゆみ

第1章

ビルの高層化と共に技術を高める

7

事業の拡大をめざして

資本金を1,200万円に増資

ガラス工事を行う上で、資本金の額が受注に影響することはなく、当社の600万円という資本金は、ガラス工事店としては多い方であった。しかし一般企業と比較すると少なく、大手ゼネコンの大林組との取引がある企業として、5,000万円規模にしたいという思いがあった。

そこで、まずは資本金を2倍にすることとし、1980(昭和55)年3月に資本金を1,200万円に増資している。

ロータリー入会後の境紀世治

ロータリー入会後の境紀世治

大型案件の増加

大阪市は1961(昭和36)年に制定された市街地改造法の適用を受け、大阪市北区梅田にて、大阪駅前市街地改造事業を実施した。複雑な権利調整を行いつつ、ビルを完成させ、最初に姿を現した大阪駅前第1ビルが1970(昭和45)年4月に、最後となった大阪駅前第4ビルが1981(昭和56)年7月に竣工。20年にわたる大プロジェクトであったが、当社は4つのビル全ての工事に関わった。

大阪駅前第1ビル

大阪駅前第1ビル(1970年竣工)

また、1983(昭和58)年4月に竣工した大阪ターミナルビルアクティ大阪(現・サウスゲートビルディング、大阪市北区梅田)は、大林組を含む大手ゼネコンが共同企業体(JV)となり、施工を行った。当社はこの時初めて、共同企業体が行う工事を受注。ガラス工事においても規模が大きく、各大手ゼネコンにガラス工事の発注先がある中で、当社が全ての工事を受注し、同業者で仕事を分ける役目を担った。そのため、担当者は当社で工事を行う時だけではなく、現場事務所に常駐させるなど、これまでの工事と異なる対応が必要とされ、仕事の規模の大きさを実感する案件であった。

アクティ大阪

大阪ターミナルビルアクティ大阪(現・サウスゲートビルディング、1983年竣工)

1980年代後半から約5年間の日本は、高度経済成長期後はじめて、長期にわたる好景気を迎えた時代でもある。過剰な投機熱で株式や不動産などの資産価値が大きく膨らんだことから、後にバブル景気と言われ、日本中が好景気に沸き立ってゆく。関西でも超高層ビルが次々と建設され、当社の受注量はどんどんと増えていった。

PAGE TOP PAGE TOP