黄金期を迎えて
利益を伸ばし、ガラス業界工事売り上げランキング1位に
バブル景気は、内閣府の景気動向指数上では1986(昭和61)年12月から1991(平成3)年2月までとされるが、建築物は計画から着工、竣工までに数年を要するため、ガラス工事業界では、バブル景気の時に計画された建物が竣工する1990年代後半まで、好景気が続いた。民間か公共かを問わず、大型のビルや商業施設の建設の案件が次々と当社に舞い込み、途切れることはなかった。
オーストラリアでの慰安旅行(1990年)
バブル景気のころの建設計画は、新しいデザインや工法が採用される傾向にあった。建設費用のことは二の次で、設計事務所が斬新なデザインを次々と提案し、ガラスメーカーにおいてもその研究に携わる人材が豊富だった。これまでにない建物を建て、新しい材料を使用することに、施主と設計者の意識が向いていたのである。バブル景気の崩壊後もそれらの計画はほとんど変更されることなく、デザイン重視の建物が引き続き造られていった。
当社の税引前利益は、1992(平成4)年10月末の46期決算で、当時として過去最高を記録した。業界誌『ガラス・建装時報』に掲載された所得額の全国ランキングに名前を連ねるようになり、このランキングを意識している同業者は多かったため、当社は一目置かれる存在となった。当社がガラス工事業界の工事売り上げが1位となったのもこの頃である。
ハワイでの慰安旅行(1995年)
好景気が続く中、1995(平成7)年1月に阪神・淡路大震災が発生。当社は大阪市内を中心にガラスの復旧に従事しつつ、新しい建物の工事に関わった。
社員を増やし、大型施設のガラス工事に携わる
バブル景気真っただ中の1988(昭和63)年、大阪市はテクノポート大阪計画を策定。大阪市全域で数々の大型施設が建設されてゆく。大阪市住之江区にある大阪南港も対象エリアのひとつで、1994(平成6)年3月に竣工したアジア太平洋トレードセンター( ATC、現・O’〈s オズ〉棟、大阪市住之江区南港北)の工事に当社が関わった。そのほか、同年6月竣工の関西国際空港、ハイアット リージェンシー 大阪(大阪市住之江区南港北、現・グランドプリンスホテル大阪)、1995(平成7)年2月竣工の大阪ワールドトレードセンタービルディング(WTC、現・大阪府咲洲庁舎、大阪市住之江区南港北)、1996(平成8)年8月竣工のりんくうゲートタワービル(現・SiS りんくうタワー、大阪府泉佐野市りんくう往来北)、1997(平成9)年2月竣工の大阪ドーム (現・京セラドーム大阪、大阪市西区千代崎)と続き、1997年7月竣工の京都駅ビル(京都市下京区烏丸通)にも携わっている。
アジア太平洋トレードセンター( ATC、現・O’s〈オズ〉棟、1994年竣工)
関西国際空港(1994年竣工)
大型案件が次々と舞い込み、対応するには一人でも多くの社員が必要だった。入社希望者を全員受け入れると共に、新日軽株式会社(現・株式会社LIXIL)で働いていた紀世治の息子の境昭博が入社し、ガラス工事の現場に入った。新入社員は先輩社員の指導を受けながら現場で仕事を覚え、職人については、依頼すれば仕事を受けてもらえる状況だったため、仕事量に合わせて人の手配をすることができた。
社員を中心に確実に仕事を進めていく当社の対応に、大林組からも信頼が寄せられた。その結果、大林組大阪本店管内のガラス工事のシェア率は約80%にまでなった。そして1990年代前半、当社の歴史の中で一番多くの仕事を受注する時期を迎える。1980年代まではおおむね10億円以下だった売上高が20億円に達し、1994年10月末の48期決算では、当社の売り上げで最高額を達成した。
新工法が採用された大阪ワールドトレードセンター
大林組、鹿島建設、鴻池組を含む全11社の共同企業体が施工し、1995(平成7)年2月に竣工した大阪ワールドトレードセンタービルディング(WTC)は、当社にとって過去最高額の大型案件であった。
大阪ワールドトレードセンタービルディング(WTC、現・大阪府咲洲庁舎、1995年竣工)
WTCでは、ひとつの窓開口に2枚、もしくは3枚のガラスを入れる構造が採用されると共に、DPG(Dot Point Glazing)構法という、日本ではまだ導入事例が少ない新工法が低層階に取り入れられた。また、等圧排水構造という新しい構造も採用されている。
WTC・DPG 構法
等圧排水構造とは、建築物への雨水などの侵入を防ぐために用いられる構造のひとつである。室外の気圧と室内の圧力を等しくする構造で、建築物の開口部に板ガラスなどのパネル部材を装着し、その外縁部と開口壁部との間の全長にわたって、室外側に雨よけ機能、室内側に気密機能をそれぞれ設け、等圧の空間を形成するものである。サッシを使用せずに、高い水密性を実現できることが利点となっている。
一方、DPG 構法はサッシを使用せず、強化ガラスの四隅に穴を開け、ローチュールという特殊ヒンジボルトで固定する。サッシが不要で、透明部分の比率が高いガラススクリーンを構成できる構法であり、ガラスに穴を開けるため費用はかさむが、美しく開放的な空間を作りあげることができる。さらに、ローチュールが自在に動くため風圧に強く、カーテンウォールと同等の耐震性がある。
地上55階建てという大型ビルでこれほど贅沢なガラスの使い方をした建築物はほとんどなかった。当社にとって、数万㎡に及ぶガラスを、人力で1枚ずつはめていく作業を経験できた、貴重な現場であった。
WTC 竣工時の等圧理論に関する記念講演
DPG 構法で当社が施工したのはWTC のほか、1994(平成6)年6月に竣工した関西国際空港の上下階移動のための吹き抜け空間であるキャニオン階段や、三角形の高性能熱線反射ガラスを組み合わせた堂島アバンザの堂島薬師堂(2000〈平成12〉年2月竣工、大阪市北区堂島)がある。